死について考えてみました。
なぜ、こうも苦しいのだろう。と思って…。


『死ぬ』ということは
いわゆる『いけないこと』になってるんですよね。

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苦痛で暗くて良いことなんて一つもなくて
残した者を悲しみで苦しめる。


なのに
みんな、全員、世の中の全ての人が
そんな『死』に向かって生きてるんですよ。

どうしようなく悲しくて酷いことに
100%の人がなるんです。

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なんで、そんな酷いものだと捉えられてる世の中なんでしょう。



『あの世はあって
苦痛も嫌なこともない、めちゃハッピーな世界。みんなあっちで待ち合わせ。』

くらいカジュアルに死があれば
残された人も、死を宣告された人も
今よりもっと楽に生きれるのではないのかな。


『死』というものが、もっとカジュアルに選択出来たら
生きやすくなる人もいるんじゃないかな。


生きる自由があるなら
死ぬ自由もあっていいはずなのに


『絶対に自ら死を選んではいけない』

なんて誰が決めたことなんでしょう。


死ぬより辛い地獄を見ている人もいるだろうに。
結果死を選ぶこともあるだろうに。


そんな地獄の中でも生きなければならなかった。
自殺したら天国に行けない。

苦しくて苦しくて選んだ道を
なぜ死んでもなお追い詰めるのかしら。



『死ぬ自由』

ちゃんと後始末をして迷惑かけずに旅立とうとするならいいんじゃない。

死んじゃいけないと思うから皆んな苦しくて
ギリギリまで生きて思い立って死んじゃったり
孤独死なんていうものもあるのでしょう。

『死』を選べるような価値観になれば
それこそ区役所かなんかで受付窓口があればいいのに。
『いけないこと』ではなくて『選択肢としてあり』になればいい。


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「死のうと思う」って言えるようになって
「なんで?どうして?じゃあ改善しよう」って皆んな必死にその人の事を考えるんじゃないかな。

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『それは考えてはいけないこと』


だとされてるから、みんな心に抑え込んで苦しいんじゃないかな。


簡単に死を皆んなが選んじゃったら
何が問題かって
結局行き着く先は生産力とか国力とかなんでしょうね。

時代が違えば
国の為に命を落とすことが正義になるのに。

結局は何のために生きてるのか。
国のためか?



自殺を増長させようとか思ってるってことじゃないんですよ。
ただ、それも選択肢としてアリだと思ってます。


それを選んでもいい。
だからそれを選ぼうと思うって周りに話してほしい。

そして周りは
「何を言ってるの!」と頭から否定しないで
その選択を尊重してほしい。
なんでその選択をしなくてはいけないのかを否定から入らずに聞いてほしい。



『死』って本来
いけない事でも、怖い事でもないのだと思うから。

だってみんな死ぬんだよ?
そこまで必死に生きても死ぬんだよ?

なんで運命なら良くて
自分で選んだらいけないことになるんだろう。



今の人生は一度きり
そして人生の出口は死ぬこと。



人生の最後が苦痛に向かってるなんて嫌だもの。
向かうものはハッピーなものであって欲しい。

待ち遠しいくらいのものになればいいのに。
だからこそ今を思いっきり生きられると思うから。

ここが全てだと思うから
窮屈で頑張りすぎちゃって辛いんじゃないかな。



↓死を許したら心が楽になりました。


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