子供達がまーくんの仏壇(に飾ってある人形)で遊んでいる。

そんな姿を切ない表情で見ていたら
しーちゃん(3歳)に


「おとーたんに会いたい?」と
切ない表情で聞かれました。



「会いたいよ」と微笑み返して答えると
「大丈夫よー!しーちゃんの家にいるよー」と温かい返し。




ふと横に目をやり、そんなやりとりを黙っているけーくん(5歳)に
「お父さんに会いたい?」と聞いてみました。

ちなみに以前聞いた時は「別に」との返答。

今回は
しばらく沈黙があった後に


「…うん。


だって


肩車とか
抱っことかするもん。」



その沈黙と小さな声と物語る表情に
けーくんの心が見えました。

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『お父さん』を「良いな」と思い始めてるんだ…。


「そっかーそうだよね。」と明るく返しつつも
ちょっと席を外して泣きました。


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けーくんは『お父さん』を知らない。
他の子に当たり前にある『お父さんとの遊び』を知らない。

生前たくさん遊んだし、肩車もしたけども
それは、けーくんの記憶には残っていない。(死別当初3歳だった)

『お父さん』というものを知らずに
「いいな…」と思って生きていくんだ。

胸が押しつぶされそうになります。



誰も望んでいなかった。

『お父さんがいない人生』
『伴侶のいない人生』
『家族を残して天国へいく人生』

誰一人として望んでないのに
そんな結果になってしまった。


けど、私が泣いていたらダメだ。
子供の心に触れるたびに私が暗い顔をしていたら
子供達は本心を言わなくなる。
「言っちゃいけないことなんだ」と思ってしまう。


受け止められるようになろう。
「大したことじゃない」と彼らが思えるように。



深呼吸して、なんでもない顔をして
風呂に入る前の裸だったけども
しばらく長めに抱っこして遊びました。



肩車をせがまれたけども
サラッと断り。(いや、本当身体能力低くて…)
いつもはしないおんぶまでして、つかの間遊びました。


どうしたらいいのだろう。
彼らが健やかに傷つかずに生きていくには。
傷ついた時に折れない心を作っていくには。

私に何ができるのだろう。


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明るくいることくらいしかできない。
せめて唯一の親が明るくいてあげられるように…

↓私がやれることなんてないんですよね。対峙するのも彼らの人生の一つ。
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