たまに辛辣な言葉に心削ることがあります。


それは分かった風な顔をして
時には正論を振りかざして



愛する人との死別の苦しみははっきり言って尋常じゃありません。
それは人が思っているよりももっと過酷で根深いもの。



「愛する人が死ぬ」それは想像できる。涙も出る。


でも

どれだけの痛みを伴うものなのか、本当に痛みを伴う苦しみがあるということ
一年半経った今も自然と涙が流れるほどの、大声を上げて泣けるほどの
苦しくて苦しくて、どれだけ苦しいのか

それは実際経験してみないと絶対に分からない。




大小ありますが
心をえぐられる経験による傷は普通このくらい。
※傷がついたわけではありませんが
苦しみや痛みの度合いを『傷』と表現させていただきます。


20190520_1


死別はこのくらい。

20190520_2


比べられる度合いじゃない。



普通の傷は時間とともにいつの間にか無くなっていることもあると思います。
ただ、死別の傷は気がついたら埋まるほどのものじゃない。

自分で新たに構築していかないといけないのです。
少しづつ少しづつ、たまには周りから材料をもらって

無神経な言葉にまた崩れて
少しづつ少しづつ強い心を作っていく。

それは以前のものと同じではないかもしれない。
でもその修復過程がどのようなものかによって
出来上がった心は全く変わると思うのです。



心を削る言葉を投げる人は嫌いです。
そりゃそうでしょ。
アッケラカンを装っていますが影で泣いて耐えています。

でもそういう人に当たった時は
私の心を鍛錬してくれる人だと思うようにしています。

何度も崩れて、作り直して
誰も分かってくれない。でもそれを良しとして。
涙も一緒に塗り固めて。




「自分が一番不幸だと思ってる?」


思ってますよ。もちろん。

人の苦しみと自分の苦しみは比べられません。
自分は自分の苦しみの中で生きている。

これ以上の苦しみはない。誰が何と言おうと私はそう思っています。



そんな苦しみを背負って
人の言葉に傷ついて

でも
それを人のせいにせず(したところで…という諦め)
自分の問題だと自分に向き合う。

それが死別なんだと思います。


どんなに苦しくても苦しくても
自分と戦っていくしかない。
他の人に辛辣な言葉をかけている場合じゃないんです。

そういう言葉を放つ人も受け止められるくらい
強い心を作りたい。


日々鍛錬。
なんて人生だ。

20190520_3


↓30年以上生きて、それなりに嫌な思いもしましたが
愛別離苦以上の苦しみなんてない。
 クリック蘭


  ↓応援ポチッといただけると嬉しいです。
 にほんブログ村 家族ブログ 死別へ


  ↓LINEで読者登録。

blogreader_201903_2


  ↓旦那が死んで買い物魔と化した私の買ったもの。
   どんどん増えていくでしょう。

rukuten_room20190411