実家で飼っているワンコが癌になりました。


実家はワンちゃん教です。

旦那が死んだばかりの我が娘の
「家に来て欲しい」を
「犬の散歩がある」と断るくらいです。


家族であることは変わりないし
愛情たっぷり注ぐのもいいことだけど
「もうちょっと放っておいてもいいんじゃない?」と思うくらい。


癌になったワンコは
14歳の老犬ヨークシャテリアの女の子。

実家にいる4匹の内
1番始めに家に来た子。

寝床に血が付くようになって
おかしいなと思いつつも
原因が分からず
判明した時は時すでに遅し

顔の癌に侵されていて
頭の中は腫瘍でパンパン
骨も溶けていると。
もういつ死んでも仕方ない状態だと。


その知らせを聞いて
生きているうちに会いたいと
会いに行ったら
突然に恐ろしいほどに衰弱していました。
足がもつれて、息が苦しそうで

この前会った時は普通に元気だったのに…。

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命はいつなくなるか分かりません。
いつ病気になるか
いつ事故に遭うか


もう会えないかもしれない
触れることができないかもしれない
これからの生活にこの子はいないんだ。

一緒に暮らしてはないですが
私にとっても可愛い子なので涙が出ました。



それでも私は、すぐに自分の生活に戻ります。

目を逸らすのは簡単
時折考えて泣いて
「悲しいな」「寂しいな」と思うだけ。


でも、一緒に暮らす家族は違う。


現実を受け入れて飲み込んで
涙を滲ませながら
「早く死んだ方がいい」
と話す母。

長く生きていて欲しいに決まってるのに
それには過酷な状況がつきまとう。
安楽死も視野に入れています。


「長く生きたよ。」
「病気が見つからなかったのも運命だよ」
「どんな状態でも命ある限り生きて欲しい」


それがどんだけ正しかったとろうと
楽にしてあげようと思っても
言うべき言葉ではない

大事なのは
自分の意見を伝えることではなくて
相手の気持ちを汲むこと

こちらがどう思おうかなんて
どう思ったらいいかなんて
言われても仕方ない。
どうだっていい。

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私には分かるから。

生活を共にしていた
日常の一部を失うことの辛さがどれだけのものか。


私には戻る日常がある。
でも
父と母には当たり前にあった日常が永遠に戻らない。

自分達は何も変わらないのに
その存在だけがない世界。

動く姿を見ることも
気配を感じることもない。

その痛みを私は知っている。

家族を失うとはそういうこと。

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旦那であろうと
子供であろうと
親であろうと

犬であろうと
猫であろうと
鳥だろうと
ネズミだろうと


どれだけ自分の心を占めている存在だったのか
どれだけ当たり前の日常だったのか

生活の中の比重が大きければ
それが誰なのか何なのかって関係ない。

その人には本当にかけがえのない存在だったのだから。



まーくんが死んでしばらくして
落ち込んでいた私に
「何かあった?」と聞いた母。

別日にテレビ番組で
飼い主を亡くした犬が黒毛だったのに
真っ白になったと
それだけショックだったのよ!
と言ってきた母。
(うん。だから私もそれくらいの状態なのよ。)


大事にしているものが違う。
ただ、それだけの話だと思います。


ワンコを大事にしている気持ちを汲んで
もし、その子が死んだ時には
家族として一緒に悲しみ寄り添えたらと思います。


大丈夫。
天国にはまーくんがいるから。


もし、まーくんが死んでなかったら
あたかも「あなたの為」かの如く
「一般的にはこうだ」「常識は」などと
自分の考えを押し付けていたと思います。


寄り添うとは何なのか。
考えられるように。というか考えようとするようになりました。


日々勉強。
遺す者も、遺される者も健やかにいられる事を願って止まないです。


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↓大切なものを失うというのは、何であれ地獄です。
※sms2001さん
期待に添えるか分かりませんが…紹介いただいたことは
無問題ですよ〜。


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   どんどん増えていくでしょう。

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