<死別ケース 12>
2018年3月末に夫はくも膜下出血で突然死しました。
亡くなる2日前に娘の卒園式に参加し
亡くなる前夜は「お母さん、ゆっくり寝なよ」と娘と2人で寝て(3人で寝たら良かったな…)
朝は大体寝てて見送れない娘もなぜか起き
「最近、娘ちゃんほっぺちゅっちゅ(ほっぺ同士をくっつけること)してくれない!」と
娘に強要してほっぺちゅっちゅをしてもらって、ご満悦で出勤した夫。
その2時間後に倒れ、3時間半後に亡くなりました。
8年前に一度、くも膜下出血を発症して誤診→私のゴリ押しで再診した病院でわかって一命を取り止めた夫。
ほぼ遺伝(義祖母、義母ともくも膜下出血経験者)プラス
若いときの喫煙(1回目の発症1年前に完全禁煙)
お酒は大好き(夫婦とも)で医師からもほどほどならいいよ!と言われていたので
楽しんでいました(たまに深酒して、私と娘に叱られる)。
でも、1年に1回の脳動脈瘤の検診でも異常はなく(最後は亡くなる半年前)
亡くなった病院(最初の発症のとき、手術した病院)にも少し前に診てもらったばかりなので
解剖までしたけど、結局、動脈瘤のない脳の血管が裂け、同時に心不全を起こしたという説明でした
(くも膜下出血は、発症即、死亡はほとんどないの、知ってるから納得できないけど)。
知り合って22年、結婚して15年、子どもになかなか恵まれずやっと娘が授かって6年
駆け抜けて逝ってしまった夫。
55歳、皆さんの旦那さんよりも、けして若すぎはしないけど
6歳の娘を残して逝くのは心残りだったと思います(先日、7歳になりました)。
好きなことをして、娘を思いきり可愛がって
「もうすぐ、じじぃ嫌い!って言われちゃうかな…」なんて言っちゃってたけど
もう、ずっと娘に愛されたままです。
「お父さんみたいな人と結婚する!」って、娘はいつも言っています。
一度目で助かったのは奇跡ですね。
助かったことが奇跡というより、それ以降かけがえのない時間を過ごせた奇跡。
命の期限は決まっていて
一度命というものを考えた時があるのであれば
それ以降の時間の感じ方は絶対違っていたはず。
日常に忘れてしまうことがあっても
大切に大切に過ごされたのではないかと思います。
一度助かったのだから良いじゃん!とは言いません。
でも、きっと一度失った命。
神様からのご褒美の8年間。
かけがえのないものでしたね。
とはいえ辛いですけどねー!
『あの時本当は亡くなっていて、特別な時間だったんだ。』
て、思わなくちゃって思うのが辛い!(思わなくちゃいけないわけじゃなくて、私なら無理矢理そう思いこむだろうと…)
にしても8年前に助かって、娘さんが6歳ってことは
助かってから授かったってことですかね!?
もう切ない!でもかけがえのないものを残していってくれましたね。
大切にされてください。(私が言うまでもないでしょうけども…)
そんな溺愛されてた娘さん。
天国からじーっと穴が開くほど見ていることでしょう!
↓たくさんの突然死の体験をいただきました。少しづつ記事にて取り上げようと思います。
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コメント
コメント一覧 (22)
主人が、もやもや病の診断から3年…定期的な検診と投薬を続けるも…あっけない最後でした…
倒れたその日は具合悪い素振りも全くなく…本当にあっけななかったです…
やっぱり私がもっとキチンと治療するように言えば良かったんだ…とか、子供を預けて仕事に行かなければよかったんだ…とか、後悔はつきません…
倒れたのは自宅…
夜中、なかなか寝室に来ない主人を心配して自分の眠りが浅くなった時に…倒れたと思われる大きな音と、大きなイビキが…これはヤバいと急いで主人の元に行くも反応なし…この時の光景は今でも鮮明に突然思い出され、心拍数が上がってしまいます…
まもなく、半年が過ぎようとしています…たくさん、もがきながら、子供達の為に普通の生活を保っています。子供達がいなかったら、きっとこの生活は過ごせていないと思います…でも、それも少し窮屈になってきました。子供達の為に楽しく過ごしていても、仕事を出来る範囲で再開しても、何をしてもこれでいいのか…と悩んで、体は疲れて…本当に体の疲労感が今までより半端なくおそってくるのです…
きっと、伴侶を無くした人の普通の事とわかっているのだけど、誰にも相談出来ずにこれでいいとわかっていても、これでいいのかわからないのです…
誰か…これでいいんだよ…っていってください。
それだけで救われる気がします…
せせらぎ
がしました
辛いけど、調べているうちに、色々と‥。
書きたいのに書けない状況です。
これ以上進むべきなのか迷っています。
こんな時こそ、相談したい‥涙
せせらぎ
がしました
朝、頭痛い、仕事休むから病院連れていって、と。
二日酔いか、ゲームやりすぎだろうくらいに思っていた私。
それでも朝イチで脳神経外科へ。
受付表も自分で書いていたし、看護師さんとの受け答えもしっかりしていた。
受診して「CT撮ったけど、ただの頭痛と言われた」と痛み止だけ処方された。
自宅へ帰り「寝てるようにね」そう言って私は仕事へ。
昼休みに自宅に戻り会話。
「痛み止め飲んだけどまだ痛い」と言っていた。
再び私は仕事に戻り、夕方、子供を迎えに行ってから帰宅。
「あれ?暗いのに電気付いてないや。寝てるのかな?」と電気を付けた。
息してない。顔も手の色も違う。
え?え?え?何?何?何?
動転して何故か救急車呼ぶの手元の携帯からじゃなくて固定電話から電話しちゃった。
必死に呼び掛ける息子、心臓マッサージする私。
二年たった今も鮮明に覚えてる。
ただの頭痛って言われたのに。
ちゃんと受診したのに。
最後昼間にした会話。
「主人:死にそう」
「私:死ぬ前に電話ちょうだい」
「主人:死んだら電話する」
まさか本当に死んじゃうなんて思ってもいなかった。
いまだに電話かかってこない。
当たり前か。
知り合って20年。
結婚して12年。
やっと息子を授かって7年。
なんか近い環境(?)だな、と思い、長々コメントしちゃいました。
せせらぎ
がしました
私は未だに主人の車を手放す事が出来ずにいて、ゴミすら捨てられなかったんです。でも日曜日にゴミはゴミと思って捨てました。ゴミ箱からは頭痛薬の殻がたくさん出てきました。きっとずっと頭が痛かったんだと思います。それがくも膜下出血に繋がったのかは怖くて調べていません。でも、もっと早く気づいていたら死ななかったんじゃないかって。後悔ばかりです。
それも寿命だったと思えるようになるにはまだまだ時間が必要ですね。
孫が明日で5ヶ月になるのですが、主人の写真を見てニコニコするんです。楽しみにしてたから、ずっと張り付いてるのかなって。あやみるさんのご主人も娘さんに張り付くように見守っているかもしれませんね。
せせらぎ
がしました
もうすぐ一年、この前から記念日反応が始まり、落ちているところでした…
夫との8年は、神様のプレゼントだと思っています(思おうとしています)。
私は、妹も若くして亡くしています。
妹も病気を発症し、7年後に突然死しています(病気に伴う事故)。
もう大丈夫!と思ったところでの、大どんでん返しなんです。
その経験があったからか、一度目の発症後、夫とは悔いなく生きてきたつもり。
いつだったかコメントしましたが、実のところ、後悔はないのです(最期に話したかったくらいかな)。
…ていうのは、強がりです。
もうすぐの一周忌も辛いですが、来年の夫の三回忌と妹の十七回忌を一度にやらなきゃならないことを考えると、ゾッとします。
記念日反応のせいか、取っ散らかったコメントでごめんなさい。
せせらぎ
がしました
大丈夫です!きっとあやみるさんの旦那さんも娘さんにへばり付いて守ってくれていると思います‼︎
私がもし旦那より先に死んでたら、絶対娘にへばりつていると思うからです。
せせらぎ
がしました