
<質問 22>
闘病後に死別をされた方。
今まさに闘病と向き合っている方。
闘病の過酷さはどれほどなのか。とても計り知れない…
よろしければお話聞かせてくれませんか?
突然死、事故死と取り上げさせていただきました。
あとは大きくは『闘病』。
突然死は辛いです。(事故死も突然死)
思いもよらず地獄に一瞬で落ちて、最後の言葉すら選ぶことができなかった。
けど、闘病には闘病の過酷さと辛さがあることでしょう。
愛する人が弱っていく姿、まさに命が無くなる瞬間。
余命を伝えられた本人の気持ち。
並行して進めていく生活。
迫り来るタイムリミット。子供達のケア。
これは私には分かり得ない。
抱えている辛さがある方がいらっしゃれば吐き出しませんか?
突然死、事故死と取り上げさせていただきました。
あとは大きくは『闘病』。
突然死は辛いです。(事故死も突然死)
思いもよらず地獄に一瞬で落ちて、最後の言葉すら選ぶことができなかった。
けど、闘病には闘病の過酷さと辛さがあることでしょう。
愛する人が弱っていく姿、まさに命が無くなる瞬間。
余命を伝えられた本人の気持ち。
並行して進めていく生活。
迫り来るタイムリミット。子供達のケア。
これは私には分かり得ない。
抱えている辛さがある方がいらっしゃれば吐き出しませんか?
きっと同じように戦ってる方の力になるから。きっと…
↓たくさんの突然死の体験をいただきました。
↓事故死も経験談いただきました。相手がいるって辛い…
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わかりやすく説明している。つ・も・り。
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コメント
コメント一覧 (52)
今年1月に癌で夫を亡くしました。
結婚生活6年、闘病は5年、子供も作れず、
夫は前日まで自分の病状をすべて知りつつも、治す気で頑張ってくれていました。
何度も奇跡的な回復して持ちこたえてたから、また大丈夫と変に思ってたり、現実を見ないようにしたりしてましたが、覚悟はしていました。今年なんだろうと。でも、そんなものしてるつもりで、できるものでなくて。
いつも本人の前では泣かないよう笑顔でいるようにしていました。なんで普通でいられるのかといわれても、耐えてました。ばれそうになっても、泣いてないと嘘をつき、でもそんな頑張りより、夫にもっとやさしくしてあげたらよかったなと思いました。
夫は私以外の前では弱音もはかず、最後まで泣かず、病院のスタッフにもありがとうと感謝してました。
強く、優しい人です。子供みたいなふざけたとこもありましたが、みんなに愛され、多くの友人や会社の方などたくさんお別れに来てくれ、夫の人柄を再確認しました。
だから、私にも言えなかったこともあるだろうに、もっとやさしくサポートしてあげればよかったと。
今、職場の理解があり、仕事している平日は頑張れておりますが、休日は落ち込んでばかりです。
最期まで看取れたのはよかったけど、繰り返し繰り返しその時を思い出したり、夫の最後に着てた服を母に洗われないようビニルで隠しておいたり。
夫の定位置や、ものはにおいついてほしくないから、誰にもつかわせたくなかったり。
せせらぎさんに共感しながらブログを読んでました。
立ち直れる自信がありません。
長々すみません。何が言いたいかもわからないですが、このブログにたどりつけてよかったです。
せせらぎ
が
しました
メッセージありがとうございます!目安箱にて取り上げさせていただきますので、少々おお待ちくだされ〜
せせらぎ
が
しました
メッセージありがとうございます!メッセージは非公開なので、公開希望であったら教えてください。
対峙する家族もとてもしんどいものがありますよね。落ち着くことは一生ないです。でも、落ち着いてきてしまうのも事実。それは周りが言う『落ち着く』という感覚とは少し違うのですけどね。
せせらぎ
が
しました
メッセージありがとうございます。
メッセージは非公開なので、非公開で良いのかしら?公開希望であったら教えてください!
死と対峙する気持ち。計り知れないです。ゆっくり大切に育てていきましょうね。
せせらぎ
が
しました
すいません、長文の愚痴でした。少し吐き出してしまいました‥。せせらぎさん、ありがとうございます。
せせらぎ
が
しました
闘病は半年と少しでした。
誰よりも体力があり、元気だった夫が微熱が続いて食欲不振になり病院にかかったところ
肝臓に無数の腫瘍がみつかり肺にも転移しておりいきなり末期ガン、余命宣告された時の事は忘れられません。
大好きな人が居なくなってしまうかもしれないという恐怖に毎日怯えながら過ごしていました。
花見、正月、外出、お風呂、トイレ等、夫のすべてが、最後になっていくのが本当に辛かったです。
夫が癌性疼痛で痛がる顔や、信じられないくらい汗が出たり…夫が苦しむ姿、必死に生きようとする姿が忘れられません。
夫の治療選択をした時は最善を選んだつもりだけどやはりタラレバに今も苦しくなります。
ただ余命宣告されてた分、
毎日、毎瞬間、これが最後かもと思い愛してるや感謝をたくさんたくさん伝える事は出来ました。
せせらぎ
が
しました
すぐに、脳や肝臓に転移が見つかり、頑張って治療して2年との余命宣告を受けての闘病スタート
その日から、私たち家族の生活は、一変しました。
笑っていても、楽しんでいても、どこかグレーがかっているような世界…
幸い、痛みや副作用の辛さは少ない方だったと思います。
それでも、50回以上の抗がん剤治療をこなし、放射線医療も20回超え。
10回の入院…と闘病中心の生活で、子どもたちにも少なからず我慢をさせたり、
それなりに負担をかけていたと思います。
習い事は辞めたり、お休みしたりもかなりしました。
イライラした私が、やつ当たりをしたこともあったと思います。
子どもの為にも夫の為にも、家族旅行やお出かけで思い出を作ろうとしても、
入院や治療の関係でキャンセルばかり続いたり…
続く…
せせらぎ
が
しました
ずっと何で夫がって思っていました。
結婚して、妊娠発覚したと同じくらいに病気もわかり結婚生活はずっと病気がつきまとっていて、普通の幸せがずっとこれからも続きますようにといつも祈ってました。
夫は、子供と私を一番に想い自分がいなくなったあとの事も考えてくれ、身辺整理などもして色々と教えてくれました。
夫が亡くなるときのこと、鮮明に覚えていてたまにぱっとその情景を思い出し苦しくなります。
普通に生活していても、どこか夫の面影を探して、会いたいなぁとつぶやいてます。
いつになったら会えるのかな。
せせらぎ
が
しました
わかった時には末期で、すでに痩せ細っていた為、手術も抗がん剤治療も出来ない状態でした。ただ弱っていくのを見ているだけ。何も食べる事も出来ず、シュークリーム食べたいなぁと言われたのが心に残っています。
余命1ヶ月と言われたのですが、とても頑張って2ヶ月半で亡くなりました。
闘病生活はとても辛いものでしたが、主人を突然死で亡くした今は、少しでも話ができて一緒に過ごす事ができてよかったと思っています。
せせらぎ
が
しました
治療がうまくいった方だと思います。直前まで普通に仕事をしていました。
大変だったのは治療費(苦笑)
住宅ローンとか子供の学費とかを高く感じないくらい!感覚が麻痺しました。
それなりの保険に入っていたから良かったですが、そうでなかったら…。
子供たちに病状は言いませんでした。
初期癌で幸運にも助かった、くらいに思わせておきました。
普通の生活を送らせたい、子供たちに気を遣わせることだけはしたくなかったのです。
本人が病気を知った時のショックはどんなだったかと思いますが、前向きに元気に過ごしていました。自分だったらあんな風にできないと思う…そんな夫は今も私たち家族の誇りです。
せせらぎ
が
しました
最愛の人が弱っていく姿…
口に出来る物と量が減り、食べても嘔吐、背中をさすり、バケツのビニールを変え、食べられそうな物があればスーパーを数軒ハシゴしました。調子が良く一緒にお風呂に入るのは楽しみでしたが、ガッチリ体型がおじいちゃんみたいな細い腕になっていき、何も言えませんでしたが辛かったです。でも痩せていく体を見るのは本人が一番辛かったと思います。腹水が苦しく、夜も熟睡出来ず、ベッドやソファーを転々としてました。薬の時間や量を記録し、徐々に薬の量も増え(いわゆるモルヒネ的な)、朦朧とする事が多くなり、脈絡もない意味不明な事を言ったりしました。さすがに辛かったです。「そうだね、そうだよね」って答えて、旦那をなだめる事しか出来ませんでした。痩せたとは言え旦那の体を1人で支えるのは体力的にキツく、トイレ介助やベッドで起こしたり寝かしたりは本当に大変でした。旦那の為に出来る事は何でもやりました。それこそ坐薬も入れました。もう何でも来いって感じでした。旦那が亡くなる事以外、何も怖いものは無い。すべて私がやってあげたい。本当に目の前の事に必死でした。
穏やかに眠れてる時、温かい手を握って「しんどいよね。よく頑張って偉いね。大丈夫だよ。ずっと側に居るよ。」そんな事をずっと言ってました。自分に言いきかせてる感じでもありました。
結婚6年で楽しい事もいっぱいあったはずなのに、最期の2ヶ月の印象が強いのか、辛かった闘病生活ばかり思い出します。
皆さんの何の役にもたたない自分の事をただ吐き出すだけのコメントでごめんなさい。
せせらぎ
が
しました
救急車で病院に運ばれ入院し、約1か月半で旅立っていきました。
入院した数日前までスポーツで走り回っていた人でした。
告知をうけた時には、癌レベル4、リンパ、骨にも転移。根治無理。抗がん剤治療をうける為に手術をうけたのですが3日後に容態急変。抗がん剤治療をうけることができず、緩和治療へ移行。
告知を受けたときは、まだ籍をいれてなくて、亡くなる二週間前に籍をいれました。
よくなるんじゃないか、余命なんてあってもないようなもの。未定!と淡い期待を抱きつつ、それでも弱っていく主人を傍でみていて、もしかしたら明日にはいなくなってしまうかも・・・と恐怖心とも闘っていました。
家を購入したばかりで、家の中のものを用意している最中でした。
主人が住めたのは約1ヶ月くらい。
帰りたくて帰りたくて仕方なかったと思います。
高校生の時に父を事故死で亡くしているのですが、母の強さも改めて実感しています。
亡くなってからも色々あって、いっぱいいっぱいになっていますが、せせらぎさんのブログに出会い、パワーをもらい救われています。
せせらぎ
が
しました
夫の救急搬送からの入院から6週間。途中で退院できそうなくらい良くなったのですが、後半は階段をおりるように悪くなっていきました。最後は呼吸が苦しくなり、モルヒネを入れてもらって(本人の希望)、安らかに眠りました。
モルヒネを開始する、と決めたとき・・・これでいい?って、夫に何度も問いかけました。
その前から話しもできなくなっていましたが、奇跡を信じている自分と、葬儀の手配や自分の仕事のやりくりを冷静に考えている自分が同居していました。現実的なことを言ってくれる友達がありがたかったです。
「こうなったらあと何日?」「今夜は自宅に帰っても大丈夫か?」など、ホンネで教えてください、と看護師さんに頼んで、情報をもらいましたが、それはそれで辛かったです。
6週間・・たぶん短いほうでしょうね・・おまけの時間をもらったと思っています。
せせらぎ
が
しました
せせらぎ
が
しました
死別10年目です。
当時、私が29歳、一人息子が4歳、亡くなった夫は44 歳でした。
膵臓癌の告知から、一週間で急死しました。
余命の2ヶ月を全うすることなく。
腹水の抜きすぎで、血栓が何処かで詰まり、夜中に一人で逝ってしまいました。
入院中の夫は、辛そうで声も小さくなり、夜眠ることも出来ず、いつもウトウト眠そうでした。
私は、声もかけられずにただ、静かにそばにいる事しか出来ませんでした。
そして、明け方の4時頃、突然病院からの電話が鳴りました。
「朝からご飯が食べれない状態なので、すぐに来てほしい。」との事。
こんな事で電話がかかってくる訳はないと思い、嫌な予感いっぱいで病院に着くと、夫が心臓マッサージをされていました。
汗だくになって、先生がしてくれています。
心電図のランプが、赤いままです。
大丈夫…きっとランプは青くなる。
でも、青くなる事はありませんでした。
10年たった今でも、ハッキリと思い出します。
あんなに深い悲しみは、二度と味わいたくはないです。
死亡宣告をされて、病室を片付けて出て行かなきゃいけない時、冷凍庫の中にアイスクリームがいっぱい入っていました。
毎日、病室に来る、私と息子の為に買って置いてくれたのです。
初めての抗がん剤の副作用で、歩くのがやっとだったのに、アイスクリームを用意してくれていた…
私は最後まで、何も出来なかったのに、夫は最後まで、私達の事を想っていました。
せせらぎさんの、ブログに出会い、10年たっても立ち直れていない事が分かり、もう一度向き合う事に決めました。
ありがとうございます!
せせらぎ
が
しました
そんな母が どんどんやつれていき できてたことができなくなる、それを母が実感し絶望している…その絶望を私は どう支えたらいいのか…。私は ただ"普通にしている"しかなかったのです。母は泣くこともなかったけど一緒に大泣きしたいくらいに感じても「そうやな~、ま、大丈夫や😄」と。母があれだけ明るく強くいてくれた分、私も母の前では絶対 泣かず口の悪い気が強い娘でいることができたのでした。長々と すみませんでした💦
せせらぎ
が
しました
大切な人を喪って、それも小さなお子さんがいらっしゃって、
若すぎるくらい若くて、まだまだ自分のことだけで精一杯な時なのに…
恨み辛みの多いこの世界で、自分の経験を生かして他者に寄り添おうとする。
なかなか出来る事ではありません。あっぱれです。
話が逸れました。申し訳ない。
私は母を癌で、夫を交通事故で亡くしましたから、両方体験しています。
母の看病は私がしていました。4年間の闘病、そして余命宣告の後は毎日が恐怖でしたね。
大切な人の最期を見届けるなんて、できることなら避けたいのが本音です。
それでも今振り返ると、心の準備は出来ていたかな。
夫の時はあまりにも突然で、現実と向き合うことが難しく、心療内科のお世話になりましたよ。
闘病は亡くなるまでの辛さもあるけど、お互いに理解する時間も出来る。
突然死は分からないまま終わりを迎えてびっくりするけど、相手の苦しんだ姿は見なくて済む。
どちらにせよ命には限りがあると思って、寄り添っていればそれで良いと思うよ。
どうしたって悲しいことは変わらないからね。
せせらぎ
が
しました
大好きな夫が死んでしまうかもしれないーという恐怖は想像を絶するものでした。本人はさらにもっともっと怖かったでしょう。しかしー病院やお医者さんが治せないならふたりで治そう!ーと行ける病院は探して行き、できる治療はどんどん受け、良いと言われることは食事療法や毎晩のマッサージなどすべてやりました。それでも後悔することばかりです。
死ぬ前の晩、緊急で入院した夫に私がー代われるものなら代わりたいーと言ったら夫はーアホなことを!これ逆やったらしのちゃんが僕のためにしてきてくれたこと何にもしてあげられへんーと言ってくれて、それが最後の会話になりました。
その後に産まれた孫たちやたくさんの人が今の私を生かしてくれていますが、毎日泣かない日はありません。
死んでしまって、夫の友人から聞いてはじめて知ったのです。最初に病気が見つかった時すでに余命半年と宣告されていたと。最後まで夫はそれを私に隠し通してくれました。そして1年半も頑張って生きてくれました。
闘病は辛く悲しい時間ではありましたが、心を込めてお世話させていただく時間をもらったのだと思うようにしています。
せせらぎさんのブログを知ってから、どれほど励まされ救われているかわかりません。本当にありがとうございます。お幸せを心から祈って願って念じています。私も頑張ります。
せせらぎ
が
しました
せせらぎ
が
しました
四年前に夫を亡くし心の回復途中です。
せせらぎさんのブログに元気をもらい若いせせらぎさんを応援しております。
人は自分が一番辛いと思いがちになります。なのに闘病の方の気持ちまで含めて思考するせせらぎさんのお人柄、きっと素敵なご両親に育ててもらったのですね。
夫は進行性の胃癌で10年間の闘病でした。癌は良くなることはなく現状維持がベストです。抗がん剤と手術を繰り返した時間です。発病の時、娘が9歳でしたので「こいつを仕上げるまで」と、目標を決めてました。お医者様から悪い状態を言われても「オレ死んでる場合じゃないからどうにかしてよ」と、食らいつく姿は立派な父親でした。医療関係者も驚く回復をしてましたが限界は来ました。「生きているのが当たり前ではなく病気が分かった時から死を覚悟していた」と、夫から聞かさせた時は言葉を失いました。身体の苦痛との闘い死の恐怖との闘い、、だったのです。この戦さが負けではなかったと思うのが夫への気持ちです。突然死の方と違いがあるのなら闘病する夫を応援したことでしょうか。私は10年間の時間、夫が逝く覚悟をすることはありませんでした。夫の居ない人生は哀しく、やっぱり居て欲しいです。
せせらぎ
が
しました
病気の辛さ、死への不安は本人にしかわかりません。回りの人は支える事しか出来ない。どんどん弱っていく母を見るのは辛かった。脳に転移して普通の事がどんどん出来なくなっていく母を見るのは本当に辛かった。
亡くなる時も突然で、最後は話をする事も出来ずに亡くなってしまいました。最期を看取ることは出来ましたが…病気で、余命があとどれくらいって言われても、助かる、元気になる事だけ信じていました。どんな亡くなりかたでも、誰かが亡くなるのは本当につらいことですよね。
せせらぎ
が
しました