死別は辛いです。
心も体も壊す。
残された方は人生の地獄。


何年も辛い状態にいる人もいます。
方や新しい幸せを掴んで生きている人もいる。


私はきっと後者になる。
それでも私は幸せに生きていきたいと願ってやまないから。


その人本来の性格や状況、いろんなものが絡み合ってずっと沈み続ける人もいるでしょう。
そういう人を見ると、あぁ、なんて愛が深いんだろう。そう思います。


私に愛がないわけじゃない。
今もこれからもずっと愛してる。(『「愛してる」という言葉とは』


でも元来の楽観主義と忘れっぽさが私を楽な方へと流してくれてる。
忘れてしまうことは悲しいけど楽です。


その反面、いた世界を忘れることなく、辛い気持ちを抱え続けるのは、辛いだろうな。と思います。
ずっとしんどい気持ちでいることの方がきつい。


忘れなさい。その方が幸せになれるから。とは言えません。
そんなに愛する人に巡り会えたことは、素晴らしいことだと思うから。(私もまーくんを愛してますよ!)




ではなぜ、前を向き楽しく生きていける人がいるのか。




『新しい世界に希望を見出そうとしているかどうか』なのかなと。
『見出せてる』ではなくて『見出そうとしている』です。



真っ暗闇の中、その場所が暗すぎて寒すぎて、ずっとそこにいるのは嫌だと思いました。
それがきっと私の原動力。

未来になんの希望もなかった。
ただここは嫌だと思った。


少し無理してでも、強がってでも
未来に小さな光を見ようとしています。


死別当初、実際光なんてありません。
真っ暗闇、絶望の漆黒。
どこを見ても見渡す限りの闇。

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だから、自分で光の点を描きました。


希望なんて、誰も与えてくれません。
誰の言葉も手助けも救いにはなりません。


こう思って、こう考えて、こう進めば
きっと、それは希望になるはずだ。と
自分で希望を作りました。
見えないくらいの小さな小さな希望。

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これは完全に不確かなもの。
なんの確証もないし、誰に教えてもらったものでもありません。


そんな光を目指して進んでいく。

時には闇に足元を取られる時もあります。
深く沈んで動けなくなる時もあります。

それでも、その光を道しるべに進んで行こうと思うのです。
重い足を引きづりながら、少しでも明るい方へ。きっと行ったら何かいいことがあると信じて。

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そんな自分で作った光が、大きくなってきているような気がします。
私が近づいているのか、それ自体が広がってきているのか。
光は集まって来るのかもしれません。


仕事への考え方。人への向き合い方。人生の進み方。
舞い込んできた仕事。出会えた人。過ごしている日々。

きっと、ずっと沈んで動かないでいたら会えなかったものばかり。



まだまだ希望に向かって進んでいる過程。
あとどれくらいで、一体そこはどうなっているのかは分かりません。



でもきっと、いつか自分でも気づかないうちに
周りはずっと明るくなって
自由に生きているのだと思います。



だからずっと沈んでしまっている人を見ると
辛い気持ちになります。
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それが悪いというわけではありません。
立ち上がれないというのも分かりすぎるくらい分かる。

助けてあげられる言葉はない。
引き上げてあげられる力もない。

そこから出るには、出たいと思ったら
自分の足で、自分の意思で出るしかないのです。

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ここが嫌だと思ったら、自分で動くしかない。
自分の希望とする未来へ行くために。


いつか明るい場所で
まーくんと手を取り
踊るんだ。(天国じゃないですよ。心の問題です。)


もう、全部をひっくるめて


幸せだったね。幸せだよ。


と言うために。

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