
<死別ケース 10>
昨年4月にくも膜下出血で突然でした。
タバコは吸わず、お酒も会社の懇親会では飲むけれど、晩酌の習慣もありませんでした。
健康診断ではメタボ予備軍でしたが、
野菜中心で会社帰りに歩いて帰宅してみたり、健康に気を使っていたと思います。
仕事は忙しくてひどく疲れてきていたので、心配をしていましたが
41歳働き盛りで、やりたい仕事を頑張っていました。
あまりの頭痛に、「救急車呼んでー!」と叫んでいましたが
意識もあって、救急車の隊員の方と痛い場所を話していたので
入院して帰れると思っていました。
もっと年をとった人が助かったのに、なぜ夫は助からなかったのか。
待合室で喜ぶ他の家族が羨ましかったです。
子供が一人立ちするまでは生きなくてはと思いますが、
死ぬ時は夫に会えるのだと思うと怖くないと思うようになりました。
by ゆう


昨年4月にくも膜下出血で突然でした。
タバコは吸わず、お酒も会社の懇親会では飲むけれど、晩酌の習慣もありませんでした。
健康診断ではメタボ予備軍でしたが、
野菜中心で会社帰りに歩いて帰宅してみたり、健康に気を使っていたと思います。
仕事は忙しくてひどく疲れてきていたので、心配をしていましたが
41歳働き盛りで、やりたい仕事を頑張っていました。
あまりの頭痛に、「救急車呼んでー!」と叫んでいましたが
意識もあって、救急車の隊員の方と痛い場所を話していたので
入院して帰れると思っていました。
もっと年をとった人が助かったのに、なぜ夫は助からなかったのか。
待合室で喜ぶ他の家族が羨ましかったです。
子供が一人立ちするまでは生きなくてはと思いますが、
死ぬ時は夫に会えるのだと思うと怖くないと思うようになりました。
by ゆう


異変に気づいていたのに…
倒れてからすぐにとかでもなく、倒れる前に救急車に乗っていたのに…
救急車に乗った時点で安心したことでしょう。
人命救助は時間が大事と言いますが、フライング気味に処置をしたはずなのに…
それでも助からない命ってあるのですね。悲しい…
だから、より「なんで?」「どうして?」という感情が溢れたのではと思います。
絶対に助かると言う保証はないけど、救急車に乗れたら、病院に着いたら、
きっと大丈夫。きっと何とかなると思ってしまうものです。
私も、もうまーくんは死んでいるのに、病院には連れて行かれないと言われているのに
それでも「無理を承知で連れて行って欲しい」と泣きながら言っていました。
病院にさえ行けば、ほんの少しの可能性でも助かるかもしれないという希望を持ちたかった。
待合室で喜ぶ家族。そこには明暗があって、なぜだかそこには違いがあって
本当にどうして助かる命と助からない命があるのでしょう。
まーくんも、もし誰かの前で倒れていたら助かったかもしれない。
でも、助からなかったかもしれない。
それがきっと運命だった。
どこにいても何をしてても、命の期限が切れたら、どうしたって助からない。
辛いけど運命って残酷です。
でもゆうさん。あなたは、本当やれることはやった!と言えると思う。
救急車までは意識があって、どのタイミングで状態が悪くなったはわからないけど
いち早く、これ以上ない速さで対処できたのだと思います。これ以上にやれることはなかったのだと思います。
だから、それでも助からなかったのなら、それはもう仕方のない運命だった。と思うしかない。
最後まで彼のそばにいれたこと。彼の異変に気づけたこと。
少し羨ましくすらある。
旦那様も心強かったですよね。
愛する妻がずっとそばにいてくれて。
↓たくさんの突然死の体験をいただきました。少しづつ記事にて取り上げようと思います。
↓運命に抗うことすらできなかった。あがいてあげたかった…
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コメント
コメント一覧 (8)
朝起きてきて頭が痛くて寝れなかったから、仕事休んで医者に行くと言ってまた寝たのですが、次に起きてきてすぐに倒れて救急車を呼びました。あと15分遅かったら私は仕事に行ったあとでした。病院に運ばれた時には意識がなかったのですが、1%の可能性にかけて手術をして成功しましたが、急性心不全と肺水腫で倒れた次の朝に亡くなりました。今月で40歳の誕生日を迎える予定でした。
どうして夜中に異変に気づかなかったのか、あの日からずっと後悔しています。気づいていたら今も生きていたんじゃないかって。
私も死ぬ事が怖くなくなりました。なるべく早く大好きな主人に逢いたい。
せせらぎ
が
しました
返せていました。
受け入れ先の病院がなかなか決まらず(何件か断られていた)救急車が出発するまでに時間がかかったことが
悔やまれますが、手術できないほどの脳の大量出血だったので、どのみち助からなかったのかもしれません。
その時は亡くなってしまうなんて思いもしなかったので、救急車に乗り込む時に夫の靴だけを持って乗りました。
その靴を二度と履くことないまま、二度と目覚めない姿で翌日に夫は自宅に戻りました。
寿命は生まれる前から決まっているし、命の長短によって幸せ不幸せが決まるわけではない、と本で読みました。
夫はきっと幸せだった!私もそう家族に思ってもらえるような人生を過ごしたいです。
せせらぎ
が
しました
8年前の一度目は一緒にいて救急車に乗り、一命を取り止めました。
病院に着いてから緊急手術の前に、医師から、「1/3は死亡、1/3は麻痺が残る、1/3は社会復帰」と聞きました。
細かいことはおいといて、救急車に乗った時は普通に話していたけど、そこから先はどうなるかわからないと。
その時は最後の1/3、社会復帰できたけど、8年後の今年3月末に再発して、ほぼ即死でした(くも膜下出血…なのにね。心不全もほぼ同時に起きたのですって)。
寿命って、変えられないんだと思います。
私も、とにかく娘を一人前にすることだけが使命だと思っています。
自分が死ぬことは、全然怖くないです。
これから先、今も、笑うことも増えました。
でも、たぶん、これから先もずっと、運命、寿命に逆らわずに死ぬことを逆に楽しみに生きていくのだと思います。
生きている間はできるだけ、楽しく生きたいのですけどね。
せせらぎ
が
しました
出張中、前触れもなく突然倒れたと連絡が入り病院へ行きました。脳幹近くでの大量出血で脳へのダメージが強く私が病院に着いて数時間後に医師から脳死状態で数日から2週間の命だと告げられました。そこから11日間、病院で共に時間を過ごしました。脳死の彼をただただ見守り続けることも、病院から離れることもできず子供達を連れて過ごす病院生活も。全てが過酷で辛すぎる時間でした。しかし、目を覚ます事も喋る事もできないけど家族が大好きな旦那はきっと少しでも長く、命が尽きるまで家族で過ごす時間を必死で作ってくれたんだと思います。
せせらぎ
が
しました
できるだけのことはやった。そう言ってもらえて、気持ちが少しほっとします。
やはり色々思い悩むので…
救急車の中で血圧が急にあがり、意識がなくなり、病院に着いた時に自発呼吸が止まったそうです。
痛み止め飲んで様子をみた少しの時間、大柄な夫を2階から1階へおろすための担架をもつ人数の不足で応援を待つ時間、少し違ったら何か違ったとも思ってしまいます。
でも、できるだけのことはやった。と思うように言い聞かせています。
救急車を呼んだ時、自分で動けるうちに1階に移動してもらう。
これからはそうします。
せせらぎ
が
しました
後から、一緒に走っていた人に、そのときの様子を聞いたのですが、みんな、どうしていいのかわからなかったそうです。
まさか、亡くなるとは思っていなかったとも言われました。
救急車は呼んだ❗
たまたま、お巡りさんが通りかかったし、交番と、駅が近かったので、AEDもあった❗
AEDでは、蘇生しなくて、救急車で運ばれている途中で、心臓は動き出したものの、脳に酸素がいかなかった時間が20分を越えたため、意識は戻らず、その日のうちに、亡くなりました。
誰かがそばにいたら、助かったかもしれない…、私が何かしらの異変に気がついていれば、助かったかもしれない…、
誰もが後悔します。
私も、今でも、色々なことを考えて、後悔することだらけです。
どれだけ後悔したら、諦めがつくのかなと思います。誰も助けてくれない、泥沼に、はまってしまった感じです。
せせらぎ
が
しました